韓国ソウルでのLiveの詳細をアナウンスしました。
今回、韓国のアーティストとやりたいと希望していて、「ウ・ジウォン」ちゃんとの共演が決まりました♡
画像はウジ(彼女の愛称)がつくってくれた。
お母さんが死んでから1年間、
お母さんとの思い出がたくさんある日本にいることがとてもつらくて、
泣きながら歩いたり、その場にうずくまったり、今思い返すと本当に大変だった。
(この7月からだいぶ元気になりました。)
そんな時、韓国にひとりで旅立ってました。
「あ、やばいな」と思ったら飛行機のチケットを検索するのがクセのようになってた。(まあまあ今もだけど笑)
2泊3日、時差もないし、
楽しい予定をつくる、そして忙しくする、道がわからないからいろいろと調べ物も多いし、余計な考えを浮かばせないようにできた、
従兄弟の奥さんが韓国人なので、その子と仲良くなって楽しかったこと、
(家族の悲しいことがあると家族の絆が深まるんだと実感した。お母さんが死んで病院で泣き崩れた時、彼女が私をだきしめてくれた、そこから仲良くなっていった)
いろなことが交わって、
韓国で心を癒すようになりました。
去年の5月、友達と韓国に滞在した時は、お母さんが死んでからはじめて、なんも考えずに笑った!ほんとに泣くほど笑った。
それも私にとって韓国が癒される場所になるきっかけになりました。
そして1年で8回も韓国に行くことになるんだけど笑笑
でも、そんななかで、
お母さんが生きてる時から勉強しはじめて、一緒に勉強に付き合ってもらった韓国語は勉強しつづけてました。
お母さんとも一緒に勉強したからやめたくなかった。
趣味ができた!と思ったし、この韓国語をつかってみたい、ていうのも韓国に行くのに背中を押しました。
韓国で、自分の韓国語がつうじると少しでも嬉しかったし、
悲しいしかない日々の中のとっても嬉しい出来事。それを体験しに行きたい、てのもあったと思う。
去年、カバーアルバムのレコーディング中に韓国に行きました。
その時には、何曲かレコーディングに入っていたものの、録りはじめていた時はまだ、特にテーマのないカバーアルバムのレコーディングの途中、てかんじでした。
そんな中、友達とのごはんの時、韓国人のひとが、「真夜中のドア〜Stay With Me」をよく聴いていて、「この曲を聴くと、日本に留学していた頃の日本の夜を思い出すんだ」と話してくれた時に、私は感動してしまったのでした。
韓国人が、韓国で、日本の曲を聴いて、日本を懐かしんでる。ってことに🥹
ごはんの途中で韓国から板谷さんにこのことをメールした。
そしたら板谷さんが、「真夜中のドア」も候補に入れてたけど選ばなかったんだよね、と連絡が返ってきて、
私は、「真夜中のドアも追加で入れて、"citypopのカバーアルバム"にして、日本以外の人が、ジャケットを見たらすぐにこれはcitypopのカバーアルバムなんだ、とわかるようなものをつくりたい!」と決めました。
その時に私はすでに、いつか韓国でLiveをしたい、と話していたみたい。
私は忘れていたけど、友達が覚えててくれました。
こんないろんなことが重なって、実現する韓国のLive。はじめての1歩なだけなんだけど、自分にとってはたくさんの思いのあるひとつのLiveです。
とにかく1年間、私の癒しの場所になった韓国、そして嫌なことはひとつもなくてみんなに優しくしてもらった。出会った韓国人のみんな。
ありがとうって気持ちをまず置きに行きたい気持ちが大きいし、
なぜだか私の人生で韓国語を勉強するという出来事があり、これが何なのかはわからないけど、次のLiveにも繋げていきたいと思ってる☺️
日本でのLiveでも、歌と同じくらい言葉を大事にしつづけてきた。(まだまだなのは承知です。精進します☺️)
韓国でも同じように、自分の言葉が伝わりますように。
韓国Liveのこと、ここに記しておきます。